30代職歴無しニートの就活奮闘記

怠惰系ニートがようやく重い腰を上げました

読書日記

昨日棚上げした分もあるので、久々に読書日記でも。昨日書いた『ルポ ニッポン絶望工場』は期間工の話と勘違いして借りたのですが、外国人留学生の労働環境についての本でした。技能実習生が奴隷状態で搾取されている話はよく耳にしますが、外国人留学生の置かれた状況もなかなか酷いものです。

 

彼らは日本に出稼ぎに来ているのですが、単純労働者として働くのは法律的に難しいのですね。そこで留学生のバイトという抜け道を使うのですが、留学というからには学校に通わなければいけません。しかしあくまで稼ぎが目的なので、授業中は机に突っ伏して寝る毎日。学校側も留学生はただの金づるなので放置。バイトできる時間も週28時間以内ですが、人手不足の現場は見て見ぬふり。政治も我関せずで、社会全体で留学生を食い物にしているように感じられました。

 

この本の功績かは知りませんが、現在は外国人の単純労働を認める方針だとか。2025年までに50万人の受け入れを目指すみたいですが、焼け石に水感はありますね。労働人口の1%にもなりません。

 

更に彼らがEUや北米と比べ労働条件の劣る日本にわざわざ来るのかという点もあります。特に看護、介護の需要は各国で膨れているので。言語の問題もありますし。フィリピン人なら英語圏に行った方がずっと楽でしょう。

 

なのでその分のインセンティブを用意しないといけないのですが、"働いてくれている"というより"働かせてやってる"という意識なので、まだまだギャップが埋まらなさそうです。

 

 

もう1つ、少し前に読んだ『ヒルビリー・エレジー』『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』どちらもアメリ貧困層の話。

 

後者は2013年なのでトランプ大統領誕生前です。その頃に読んでいればトランプの勝利にBet出来たかもしれませんね。置く金も無いですけど。

 

下の画像、赤がトランプに、青がヒラリーに投票した人が多い地域ですが、最初見た時軽くショックでした。

 

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 誰かが書いていた、「我々の見ていたアメリカってこのごく小さな青い部分でしかなかったんだな」というコメントが響きました。確かに私がイメージするアメリカも、先進都市ニューヨーク、サンフランシスコのシリコンバレー、政治首都ワシントン、観光地ハワイ、牧歌的なテキサスぐらい。南部の田舎者もいるだろうけど、メインストリームは都市部のリベラルな価値観だと漠然と思っていました。でもこれがふつうの人たちの本音だったのですね。

 

 

 鉄鋼などの伝統的製造業が21世紀に消えてしまって、それと共に中産階級も消えてゆく。製鉄所一筋で働いていた50代の男が、どこに再就職できるのか。日本だったら介護とか警備とか、無くはないでしょうが、最底辺は移民の仕事で最低賃金も安いアメリカでは自分一人支えていくのも大変です。賃貸価格の高騰でホームレスになった人も多く出てきました。『繁栄からこぼれ落ちた~』には写真が多く載っているのですが、テント住まいの家族の写真は胸に来るものがありました。執筆当時は失業率8%程度でしたが、今は3.5%と好調な雇用情勢。彼らも持ち直してくれている事を願います。

 


あとは置かれた環境と教育の影響についても考えさせられました。公教育が崩壊していると言われるアメリカで、貧困者はなるべくしてなったと言えるような状況です。不良、半グレが跋扈しているような高校で、しっかり勉強して大学に行こうと思っても難しいですし。まともな高校に行くには良い中学に行って勉強する必要がありますが、それには親が教育の価値を理解してないといけません。この辺の貧困の連鎖は日本でも同じですね。IQの遺伝は母親から7割という話がありますが、生まれつきというより、子供に接する機会が多い母親の方が幼児教育に影響が大きいという事じゃないかと思ってます。

 

 本の内容を全然紹介して無いので、少し書くと『ヒルビリー・エレジー』はド田舎に生まれて、親も周りの環境も最悪だった筆者がイエール大学の法学科を卒業して、弁護士として成功する軌跡。最悪の環境と書きましたが、すぐ銃を持ちだすファンキーな祖父母が子供時代の庇護者となってくれていたのでそれが救いでした。最後、侮辱された報復を思いとどまって「昔、名誉は自分にとって全てだった。最悪の環境でも名誉と誇りが自分を支えてくれた。でも今は・・・」というシーンがとても好きです。

 

『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』はジャーナリストの著者とカメラマンの友人がアメリカの貧困者を30年に渡って取材した本。80年代から現在の間に同じ家族がどう変化したかが語られるところも良いです。この本に出てくる人たちは置かれた状況は最悪でも、気持ちが前向きで状況に対して挑んで行くという気概があるので、読んでいて暗くなりません。自己責任精神が行き渡っているのでしょうね。「泣き言を言っても誰も助けてくれやしない。自分でどうにかするしか無いんだから」

 

YouTubeで見た動画ですが、退役軍人が乞食している隣に少年も一緒に乞食していました。少年の方はみんなから優しくしてもらえるのに、退役軍人の方には罵倒が飛び交い人間の屑扱いされていました。この人は少年の親では無く、何らかの障害で働けない状態と見受けられたのに。それは動画用の演出だったのかもしれませんが、アメリカでは自然な光景であるのでしょう。

 

両方の本にも、働く意欲はあるのに働き口を見つけられない人達を助けるべきという一方、怠け者のクズに対しては厳しい論調を取っています。日本では自己責任という言葉をネットで書くとほぼ叩かれるようになりました。人それぞれの状況もあるし、0か1かではなく自己責任が何%、社会のせいが何%、という度合いの問題だという冷静な意見もありますが、自己責任を否定した行きつく先は”親のせい”になるのではないかと思います。それが真実だとしても、そこに救いは無いかなと。

 

ああ、やっぱり本に関係ない事ばっかり書いてしまう。昔どこかの本で「評論家もまた作家である。彼らは作品をダシにして自らの思想を語っているのだ」という事が書いてありました。だから書評にはならないけど、零細ブログの読書日記としてはこんな感じでもいいかと開き直ってしまおう。